ねじマイスターの遺言書 | サイマコーポレーション

日本のねじ屋が世界を席巻した時代

現在の年齢が60‐70歳くらいのねじ屋さんで、貿易をしていた方々は知っている。40年ほど前は、世界のねじマーケットの価格をコントロールしていたのは日本のねじ屋だ。

世界中に、現在では信じられない量を輸出していた日本勢は、以下が主な輸出元だった。

  1. ねじ卸、ねじ輸出商社の輸出
  2. 輸出機能を持っているねじ工場からの輸出
  3. カリスマ・輸出ブローカーからの輸出

カリスマブローカー達は、数多くいて、皆さんどこかの会社で輸出担当をしていて独立した人達。たった一人の会社で月間1億円以上を輸出していたカリスマなどもいた。

癖が強いが、仕事が出来る。英語を若干苦手にしていたが、私の様な若者をあごで使い倒す特殊能力を持っていた。

外国とのやり取りでのねじ屋さんたちの特徴

会社員をしていた当時、ヨーロッパ、アメリカのグループ会社向けに日本からの出荷貨物の管理を担当していた。大阪はねじの生産地だったので、多くのエクスポーター達と毎日やり取りをするのだが、皆さん癖が……強すぎるのですよ。

電話で、

  • 「オレや」.....
  • 「どなたでしょうか?」
  • 「あんた、ダレや?」

まず、自分で名乗らない人は一人だけだったが、強烈な伝説を残す人だった。

また別の大阪人は、納期遅れをのらりくらりと、はぐらかし続ける。
明らかな嘘をつくなど毎回で、アメリカ、ヨーロッパのバイヤー達に説明がつかない。

自分でストーリーを作り上げるなど、自己防衛のためにやらなければならなかった。

ねじ屋さんたちの独特な対応術と信じられないエピソード

ある時、いつものような嘘に、私も相当頭にきて、上司に「もう許せません、大阪出張へ行かせてください」と直談判した。

(斎間)スイスの担当者が実際の現場に行ってくれとのことなので、明日にでも私が大阪へ行きますから。

A氏)調整するからちょっと待ってね、あとで電話する

(待っても待っても、電話が来ないので私から再度電話)

(A氏)工場が火事を出しちゃってね、大阪出張はちょっと待ってもらえますかね

数日後

(斎間)明日から大阪に行きますので

A氏)火事が不審火らしくて、工場の社長も現場に入れないのよ・・・・

平気で嘘をつく人たちが何人もいた。
でも、仕事ができるので外国からは注文が入ってきてしまう。

輸出の減少とねじ業界の現状

東京、大阪のねじ商社には、貿易部、輸出部などがどこの会社にもあった。

大きな貿易部は15-20名くらいの体制。
日本からの輸出が減少すると、規模も縮小され、カリスマたちは姿を消していった。

何人かのカリスマたちは、輸入への転身もしたが、輸出と違って輸入は大きなキャッシュが必要になるため、あまりうまくいかないようだった。

どこの国のねじ展示会へ行っても、日本のねじ屋さんが出展しているのは少ない。
日本からの輸出はもう無理なのでしょうかね?

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