3代目社長25周年の記憶 SIMAファスナー事業開始より25年がたちました

第1話【御礼】

25年前にサイマはねじ事業を開始しました。本業は縫製工場でした。
25周年を迎えるにあたり、私の記憶を書き留めることにしました。
第8話まで書き留めました。お時間のある時にお読みいただければ幸いです。

2023年の今年、70周年を迎える企業になりました。
ねじ屋としてのファスナー事業を開始してからは4月で25周年です。ねじ屋の歴史は、
三代目社長の私から始まりました。

会社員時代に帰宅して妻に、「今日、会社を辞めてきた」と言ってから実際に前職を
退社したのが1年後。その間、当時の日本人、スイス人、アメリカ人上司などからの言葉が胸に響きましたが、辞めさせて頂き実家の会社へ入社することにしました。
前社での皆様に感謝です。

2代目の父(現会長)からすれば、息子が突然会社を辞めて、
「オレこの会社の部長になるから・・・」
と実家に帰ってきたら不安になるでしょうね。
当時は父と母の2名の会社でしたし。その後、常務取締役、社長となりますが、
自分から「オレ、常務...社長になるよ」と言うことを繰り返しました。
父は特に何も言いませんでした。両親には感謝です。

タイミング悪く、実家の会社へ入社する前に、祖母の斎間ハル子が脳梗塞で倒れて、
両親宅で介護生活が始まりました。会社の事務所奥にベッドを置き、寝たきりのハル子さんと両親が一緒に出社、一緒に帰宅するという会社になりました。
「大丈夫かよ、この会社」....と思われる方も多い中、今までお付き合いを継続していただいた皆様に感謝です。

そんな状態の会社でも働いてくれたスタッフ、それぞれ務めていた会社を辞めてもらって
サイマへ引きずり込んだ、実弟の斎間浩と従妹の松本忠男。
それぞれ斎間家の細い家業に引きずり込まれて、不安なことだったでしょう。
嫁も説得して、経理・総務担当で入社してもらいました。感謝です。

少し変わり者の、不必要に元気な社長の下で、ジェットコースターの様な激動のわけが分からない空気感で働いてくれている、全てのサイマスタッフへ感謝です。

皆さんの力添えで、25年、ねじ事業を継続しています。
ありがとうございます。

第2話は、中小零細企業の「ベンチャー型事業承継」としての、本業の縫製事業から、ねじ屋へ変身のお話を...

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