3代目社長25周年の記憶 SIMAファスナー事業開始より25年がたちました

第3話【創業期1998‐2000年】

TRF発売開始、自社ブランド商品が欲しかった時

前回の第2話では、安価なねじの世界で、誰も成功できそうにない領域があるから、あえてねじ屋としてのベンチャー型事業承継の道を取りました...という話をしました。
第3話では、どんな仕事をサイマで始めたかの話です。

価格競争の激しいビジネスは、基礎体力と顧客との繋がりで、中小零細企業では負け戦パターン。ねじビジネスは典型的な価格競争ビジネスである。
そこで、自分で値決めが出来る商売はないものかと模索していたら、いくつか候補があり、「タンパー」と業界では呼ばれるセキュリティねじの販売があった。この時にはまだ候補の一つである。

ただしこの分野は、成功している人が世界中でいなかった。手を出した会社は沢山あったが、全員撤退した領域。理由は、超ニッチで超少量のデマンドしかない。在庫しないと10本とかの超小口対応が出来ない。経営者目線では在庫金額のわりに売り上げが全くないから、絶対にやらないだろうな。海外で、タンパーの専門商社があったが、数名が食べて行くのが精いっぱいの市場だなと感じた。実際自分で初めて見ると、なるほどね、タンパーだけじゃ食っていけない...と納得。他事業の利益をつぎ込まないとだめだなと。さらに、この売り上げで、この在庫金額では、世界中の誰もやらないだろうねと。

超潤沢なキャッシュでは無いが、在庫して売り上げゼロでも、生きていけそうだったので在庫を少しずつ増やした。仲間作りも重要で、いい意味で気を許せるねじ仲間のアライアンスが組めたらいいなとも思っていた。ねじ業界の先輩経営者、東京のアヅマネジ篠崎社長が、Tamper Resistant FastenerでTRFだねとの発言がきっかけで、TRFの商標を取得した。

ねじ仲間のアライアンスは組めた。在庫もそろった。プロモーションで展示会活動も開始。TRFやサイマの存在、認知度は高まったが、売り上げがついてこない。しかし、計画通りに新規商品を定期的に出していった。徐々に売り上げが増えたが、2023年の現在と同じで、超極小破壊的ニッチ数量の出荷がほとんどである。

ごく微量の出荷でも件数が増加すると、両親の出荷能力と電話対応能力にも限界が来るので、ファスナー事業部で初めての社員が入社したのもこの頃だ。後で知ったが、この初社員は弟・斎間浩の幼稚園からの同級生だった。
社員一人の期間が長く続いた。2人目の社員を雇うまでは、本当に長かった。

私は、昼間は営業に出かけ、夜に帰社してから小袋梱包とラベル張り。自分で始めた仕事だから楽しいものだった。

次回の第4話は、国際派ビジネスマンとして、やっと海外出張に行けるようになった話です。

第3話 創業期 1998-2000年 | サイマコーポレーション

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